2017年11月08日

◆情熱大陸 「プロボクサー 村田諒太 新・世界チャンピオン誕生!因縁の再戦で見せた“覚悟”と、胸の内に秘め続けて来た“苦悩と葛藤”に密着!!」

勝利の瞬間、顔をくしゃっとゆがめ、両こぶしをつきあげながらリングで男泣きした。 今年5月、初の世界タイトル戦で“不可解な判定負け”をしたプロボクサーの村田諒太。 前回の試合終了後、「出来ればこのまま取材を続けてください」と村田から依頼され、約5ヶ月間、アッサン・エンダムとの運命の再戦に向けてひた走る村田の背中を私たちのカメラも追い続けた。 ジムが設けた取材日には毎回大勢の取材陣が詰め掛ける。再戦に勝てば、世界王者として新たな未来が待っているが、負ければ一転「引退」の2文字も頭をよぎる。本人曰く「世間からは、次は勝って当たり前。『今度はどうやって勝つ?』『今度はKOで勝ってくれるんでしょ?』という目で見られると思う。勝ち方が問われる試合になる」 前回の世界戦を遥かに上回るプレッシャーに、日に日に追い詰められていく村田。試合前、減量も始まり、ハードな練習が続き疲労が抜けない。明らかに口数が減っていく…。 しかし、1週間前、村田は笑顔を取り戻した。彼がたどり着いた答えは…。 番組ではとてつもない重圧の中で挑んだ因縁の再戦の舞台裏に完全密着。常に自分のボクシングを分析し、悩み葛藤しながらも自分流の“拳の美学”を積み上げてきた31歳プロボクサーの真実をお伝えする。

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2017年11月05日

◆another sky-アナザースカイ- 「登坂絵莉 カナダ 初めて挑戦した2012年の世界選手権出場の為訪れた場所。大会では惜しくも決勝で負けて銀メダルだった。しかし、その悔しさをバネに、翌年以降世界選手権にて3連覇を果たす」

▼女子レスリング登坂絵莉がカナダへ!初めて世界選手権に出場した思い出の地を5年ぶりに再訪する。
▼ホテルでは憧れの吉田沙保里と同部屋。プライベートでの意外な素顔が明らかに!
▼レスリング人生を変えた一戦が行われた会場へ。決勝で破れ号泣した悔しい一戦。敗戦から得たものはいったい何だったのか? リオ五輪金メダル獲得へと繋がる感動秘話。憧れ吉田沙保里からサプライズメッセージ。そして2020年東京五輪への決意を語る。

◆another sky-アナザースカイ- 「登坂絵莉 カナダ 初めて挑戦した2012年の世界選手権出場の為訪れた場所。大会では惜しくも決勝で負けて銀メダルだった。しかし、その悔しさをバネに、翌年以降世界選手権にて3連覇を果たす」の動画を見る
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2017年11月04日

◆バース・デイ 「長嶋茂雄×松井秀喜 25年後のドラフトの真実」

2017年10月26日、プロ野球ドラフト会議。今回大注目なのが早稲田実業の清宮幸太郎。史上最多、11球団の指名が噂される中、水面下での激しい攻防が繰り広げられている。そして、今から25年前、1992年のドラフト会議で松井秀喜を引き当てた長嶋茂雄の笑顔は今も多くの人の記憶に刻まれている。しかしそこには、25年経った今だからこそ語れる知られざる真実があった。 当時、高校No.1スラッガーとして、清宮幸太郎同様、眩い光を放っていた石川・星稜高校の松井秀喜。松井は3年生で出場した春のセンバツで3本のホームランを放ち「ゴジラ」「怪物マッシー」と称され、一躍注目のバッターになった。そして臨んだ夏の甲子園で、今も語り継がれる高校野球史に残るあの大事件に直面する。5打席連続敬遠。その瞬間、甲子園は怒りに包まれ、試合は一時中断。社会問題にまで発展した。その一方で野球ファンを超え、その名が知られるようになった松井の進路に注目が集まった。ほぼすべての球団がドラフト1位候補に松井の名をあげていた。そんな中、夏の甲子園の2か月後、松井が初めて自らの希望球団を語った。 「タイガースの一員としてプレーしたい」 それは松井獲得を目指す他球団にとって衝撃の発言だった。この時、ドラフト会議まであと1か月半。幼い頃からの夢だけに、松井の意志は固いとみられていた。しかしそのわずか4日後、あの男が松井の人生を大きく変える会見を行った。ミスタージャイアンツ・長嶋茂雄。このとき長嶋は、12年ぶりに巨人の監督に復帰。1980年、長嶋は成績不振を理由に巨人の監督を事実上解任されてから、国民的スターとして様々な分野で活躍。巨人とのいきさつを考えれば、監督復帰などあり得ないと思われていた。そんな長嶋茂雄が再び監督に就任したのにはある思いがあった。それは、翌年、1993年のJリーグ発足を控え、一大ブームを巻き起こしていたサッカーに対し、プロ野球は巨人が2年連続で優勝を逃し、視聴率が低迷。陰りが見え始めていた。“もう一度野球人気を取り戻す”そんな強い決意で長嶋は再びユニフォームに身を包んだ。そして、新たなスター選手を自らの手で育てたいとも思っていた。実は1992年のドラフト候補には、バルセロナ五輪で活躍し、後に各球団の主力として活躍する好投手が揃っていた。しかし、長嶋の頭には松井秀喜の名前しかなかった。彼こそ野球界の救世主だと感じていた。しかし、松井の希望球団は阪神。巨人にとっては大きな逆風だ。しかし長嶋は、そんな状況を一変させる発言を監督就任会見でしていた。それは、ライバルチームを希望する松井への事実上の獲得宣言。松井にとってその会見は衝撃だった。熱狂的な阪神ファンの自分が巨人のユニフォームを着る。想像したこともなかった。実は長嶋には、松井を意識するようになったきっかけがあった。5打席連続敬遠をされた時の松井の立ち振る舞い。感情を一切表に出さず、しっかりボールを見極め、静かに一塁に向かう。その姿が、どんなホームランより長嶋の脳裏に刻まれていた。 「松井を育ててみたい」 長嶋新監督の発言を受け、巨人のスカウト陣は、阪神を希望していた松井の下へ出向き熱意を伝えた。その後、全球団の挨拶を受けた松井は、ドラフトの12日前、再び希望球団を口にした。阪神に加え、巨人、ダイエー、中日。なぜ阪神ファンの松井が巨人の名をあげたのか?それは監督就任会見で長嶋が口にした言葉により、巨人と長嶋監督の存在が大きくなったからだった。そして中日とダイエーは粘り強さに心を動かされたという。抽選が確実視される中、巨人は監督の長嶋にくじ引きを託した。そして迎えたドラフト当日。いよいよ運命が交差する時がやってきた。やはり希望球団として挙げられた4球団が松井を指名。くじは1992年の成績が下の球団から引いた。中日、ダイエー、阪神、巨人の順番だ。そして、長嶋がくじを引き当てた。長嶋の監督就任会見でのあの発言から運命に導かれるように決まった巨人軍入団。その後の松井は、長嶋との師弟関係で誰もが認めるスーパースターに成長。2人は強い絆で数々の栄光を築き上げただけではなく、低迷していたプロ野球人気を見事に復活させた。そして、あのドラフトから21年後の2013年、2人は揃って国民栄誉賞を受賞。ドラフトから始まった長嶋茂雄と松井秀喜の2人の伝説は私たちに勇気と感動を届けてくれた。

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posted by dougachan at 19:18 | ドキュメンタリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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